今回の『侍士闊歩』にはどうしても参加してもらいたかった方がいらっしゃいました。
ご本人も『絶対に参加するから…』と仰ってましたが、残念ながら直前に断念。
大阪市福島区で『田心房(でんしんぼう)』というダイニング・バーを経営されていた松崎さんという方です。
その松崎さんが先日15日に48歳の若さで亡くなられました。。。
3年前の2005年に胃癌を発症。
すぐに手術を受け、抗癌剤を投与しながらお店の営業を続けていたものの、昨春に癌が転移。
手術はもうできないとのことらしく、その後は抗癌剤投与だけの治療となりました。
それからも腸閉塞を発症したり、肺を部分切除したりと、正に満身創痍となりながらも生への執着を失わずに闘い続けてこられました。
先月19日。
アポなしで見舞いに行ったところが病室はもぬけの殻。
看護婦さんに訊くと、外出許可をもらって出かけたとのこと。
本人に電話したら、「ごめんごめん!今、京橋(でパチンコ)やねん(笑)」。
仕方なく彼の行きつけのパチンコ屋へ行くと、、、相変わらずたくさん出してましたわ。
本人曰く、「店を休んでる以上はこれで入院費用を稼がなアカンからね♪」
店外へ出て、自販機の缶コーヒーを飲みながらしばし談笑。
その別れ際、「医者がどない言おうがオレはとことん生き抜いて見せるから…」と弱々しい口調で精一杯の強がりを見せてくれました。
そして淋しそうに笑いながら「わざわざ来てくれてありがとう」と私に握手を求めてきました。
思えば、松崎さんとは長い付き合いなのに握手をしたのはこの時が初めて。
大きくて温かい、包み込まれるような手でした。。。
今月の5日。
『侍士闊歩』参加の最終確認のメールを送った時、「ごめんなさい。どうやらホスピスへ転院させられるかも…」との返信があり、それが松崎さんからの最後のメールとなりました。
そして14日に、『侍士闊歩』の報告を兼ねて「次回のイベントには絶対に参加して下さいね」と書いて送った私のメールに対して一日経っても二日待っても返信が無く、不吉な予感を抱きながらも昨晩(17日)に思い切ってご自宅へ電話をかけたところ、電話に出たのは高校生の娘さん。
「もしもし…」という重い声での応答。
それだけで全てを察したものの、私は「あの、、、お父さんは…?」
「…土曜日に、、、亡くなりました。」
松崎さんとは17年前からのお付き合いでした。
その頃の私は店の将来を考えて日本酒の勉強を始めたばかりの駆け出し。
そして松崎さんは、当時は関西有数の日本酒専門料飲店『阿田(おでん)』グループの、大阪市内にあった「あわじまち阿田」の店長。
ほとんど飛び込み同然にセールスに伺った私を、仕込みの真っ最中にもかかわらず温かく迎えてくれ、持参した2種類の日本酒をその場で発注してくれました。
そして、「値段はイイから(=価格は高くてもイイから)珍しくて美味しいのがあればいつでも持ってきて下さいな。」と優しいお言葉。
以来、定期的にご発注頂き、当時の弊店にとっては数少ない日本酒の販路となりました。
その数年後、松崎さんは完全に独立し、現在の福島区に出店されました。
店名の『田心房』の由来については「田んぼの心=お米で、即ちそれを原料にしたお酒につながり、良いお酒の造り手の“思い”が房となって実るように…との願いを込めた」と語ってくれたのを思い出します。
ところが、開店した翌年の平成9年正月、交通事故で奥さんを亡くされました。
奥さんのご実家から車2台でご自宅へ帰る途中の交差点で、松崎さんと娘さん二人が乗った車は青信号でそのまま自宅に向かって走行し、一方の奥さん運転の車は赤信号で停車。
そこへ正面から大型車が衝突!
奥さんは即死だったそうです。
当時、二人の娘さんは小学1年生と幼稚園児でした。
一旦は生きていく気力すら失いかけたものの、二人の娘さんの為にと奮起し、お店の営業も再開されました。
弊店が本格焼酎の取扱を始めて間もない頃に松崎さんから電話があって、ご自身の店のドリンクメニューを本格焼酎中心にしたい、とのこと。
爾来、神田屋取扱の焼酎を中心に展開し、有名グルメ雑誌の取材を受けたこともしばしば。
特に、弊店が昨春から『侍士の会』全商品を扱えるようになり、6月に「桐野」の販売を始めてからは「田心房」さんの店内は『侍士の会』及びその関連商品ばっかり。(笑)
『「桐野」は日本酒で例えれば大吟醸やなァ~』
私が「じゃ、純米大吟醸は?」と訊くと
『「侍士の門」と「甕御前」!』
さらに続けて
『お世辞と違うよ!他の芋焼酎が中吟クラスに思えるほどこの3つは飛び抜けてる!』
他にも「渚の篤姫御殿」や「雲雀」「黒雲雀」、麦では「揺籃」。
日本酒は「寝屋の長者<斗瓶取り大吟醸>」が特にお気に入り。
その気になれば超プレミア物の日本酒や焼酎を定価で仕入れるルートはいくらでもあったはずなのに、あえて神田屋の商品だけをお客様にプッシュし続けてくれた松崎さん。
育ちは大阪でもさすがに薩摩人の血を引いているせいか、人当たりは柔らかいけど一本筋の通ったすばらしく男気のある人でした。
お互いに女姉弟の末っ子として育ったことも相通ずるものがあったのかもしれませんが、私にとってはお酒の師匠であり、兄貴であり、良き友でした。
実は癌を発症されてしばらく経った頃、松崎さんから『「田心房」の名を継いでお店の営業を続けてくれる人を探して欲しい』と頼まれたことがありました。
「田心房=松崎さんやからそれは難しい…」と私が言うと、「じゃあ、いつか神田屋さんのメガネに適った人がいたら、その人に田心房の名前を使ってもらって下さいな」と…。
今、「田心房」という名前でお酒を作ろうと考えています。
その利き酒の為に年明けに松崎さんとある蔵へ同行することを約束してましたが、今となってはそれは叶わぬこととなりました。
でも、きっと私の見立てでも許してくれるでしょう。
それから、若くして両親を失った二人の娘さんのことは及ばずながら影に日向に力になりたいと思ってますんで安心して下さい。
お酒が好きで、ギャンブルが好きで、女が好きで…(笑)。
坂本龍馬と同じ命日やなんてカッコ良過ぎるやん!
いつか私がそっちに行った時には、美味しいお酒を飲みながらバカ話しよな、松崎さん!
本当に、本当に、今までありがとう!!
合掌! そして 献杯!!